映画『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』『スパイダーマン:ビヨンド・ザ・スパイダーバース』 | オフィシャルサイト| ソニー・ピクチャーズ

1962年の誕生以来、“親愛なる隣人”ことスパイダーマンの物語には、いつも「運命」と「選択」がある。
ニューヨーク・クイーンズのミッドタウン高校に通うピーター・パーカーは、ある日、放射能を浴びたクモに噛まれたことでスパイダーマンになった。超人的な体力と腕力、柔軟性に跳躍力。赤いマスクとスーツを身につけ、手首から飛び出すクモの糸で敵と戦い、市民を救い、ビルの壁面に張り付いて、摩天楼を飛び回る――。
そんなスパイダーマンが誕生した背景には、ひとつの悲劇が横たわっている。パワーを手に入れたピーターは、自分の願いや欲望のために能力を使い、その結果、育ての親であるベンおじさんを永遠に失ってしまうのだ。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」息を引き取る間際にベンが遺した一言が、ピーターを真のスーパーヒーローとして覚醒させる。
このオリジン・ストーリー(誕生譚)は、アメコミ史上最も有名なエピソードのひとつ。そして、スパイダーマン/ピーター・パーカーに降りかかった最初の<運命>だ。

映画『スパイダーマン』シリーズは、現在のアメリカン・コミック(アメコミ)/スーパーヒーロー映画の人気につながるムーブメントの先駆けにして、現在もその最前線をひた走る稀有な存在である。その皮切りとなった『スパイダーマン』(2002年)が、「運命を受け入れろ。」というコピーで日本に上陸したことは、このヒーローから切っても切れない宿命を象徴するものだった。
02年~07年『スパイダーマン』、12年~14年『アメイジング・スパイダーマン』、そして17年~22年のマーベル・シネマティック・ユニバース版『スパイダーマン』シリーズ。これまでピーター・パーカーの物語は、それぞれの時代ごと、作品ごとに新しく描かれ直されてきた。3人の俳優が演じた3人のピーターには、三者三様の魅力と個性がある。しかし3人全員に共通したのは、“スパイダーマンであること”に葛藤する青年の姿だった。
ごく普通の市民だったピーターの日常は、スパイダーマンの能力を手にした以上、もはやそれ以前と同じではいられない。ヒーローとしての責務を全うするか、ひとりの人間として理想の人生を追求するか? 自分がスパイダーマンであるばかりに、愛する家族や恋人を命の危機にさらしてもいいのか? スパイダーマンであるがゆえに、親友やその家族から憎まれてしまったら?
大いなる力と大いなる責任を背負ったピーターは、もともと周囲の人々を大切に考え、ともに生きてゆくことを願う人物だ。しかしスパイダーマンとしての彼は、絶えず困難な選択を強いられる。そして「何かを選ぶ」ことは、常に「別の何かを選ばない」ことだ。ピーターは選択の末、自身の切なる願いとは裏腹に大きな犠牲を払う。家族や恋人、親友、そして憧れの存在を失うことは哀しき定め。この世界と愛する人を同時に救うことはできない、それがスパイダーマンの<運命>なのだ。
ピーターが経験する成長と苦悩は、等身大で切実だからこそ、どの時代も観客の心をつかんできた。しかし、もしも別の選択をしていたら、そんなことが可能だったなら、彼らにも別の人生が、そして別の<運命>が待っていたのかもしれない……。

ブルックリンの高校生マイルス・モラレスは、ある日、放射能を浴びたクモに噛まれたことでスパイダーマンになった。グウェン・ステイシーやピーター・B・パーカーら、マルチバース(多元宇宙)のスパイダーマンたちと出会ったマイルスは、それぞれの人生と<運命>を垣間見る。初登場作品『スパイダーマン:スパイダーバース』(18年)に「運命を受け入れろ。」という、『スパイダーマン』第1作と同じコピーが選ばれたことは、新たなスパイダーマンの物語の開幕を告げる合図だった。
「全ての運命が集結する」と銘打たれたシリーズの集大成『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(22年)を経て、最新作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』では、いよいよマイルスも自らの<運命>に対峙する。しかし彼が選んだのは、過去のスパイダーマンたちが――3人のピーター・パーカーが――受け入れるしかなかった定めに、初めて抗い、立ち向かう道だ。“愛する人も、世界も、両方救う”。スパイダーマンとしての<運命>を克服すべく、彼はマルチバースを縦横無尽に駆け回るのである。
「運命を受け入れろ。」から「運命なんてブッつぶせ。」へ。いま、スパイダーマンの歴史が決定的に変わろうとしている。その先にどんな未来が待っているのかを、マイルスはまだ知るよしもない。もちろん、観客である私たちも。

稲垣貴俊(ライター/編集者)